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エドゥアール・アルフォンス・ジェームス・ド・ロチルド男爵(, 1868年2月24日 - 1949年6月30日)は、フランスの銀行家、馬主、貴族。 パリ・ロチルド家(英語読みでロスチャイルド家)嫡流の第3代当主。1906年から30年間、フランス銀行の理事を務めた。 == 経歴 == アルフォンス・ド・ロチルド男爵の長男としてフランス・パリに誕生。パリ・ロチルド家の祖であるジェームス・ド・ロチルドの嫡孫にあたる。 乗馬に秀でており、1900年のパリ・オリンピックのポロ競技に出場し、彼の所属チームは銅メダルを獲得している()。 1905年に父アルフォンスの死去でロチルド家の第3代当主となった。彼はロスチャイルド家第5世代によく見られる財産を食い潰す遊び人タイプであり、事業より趣味に走りがちだったという(彼の場合はとくに競馬)〔クルツ(2007) p.128〕。20世紀に入ってから第二次世界大戦までロチルド家は衰退の一途を辿ったが、エドゥアールの凡庸さがその一因であったと考えられる〔ブーヴィエ(1969) p.192-193〕。 第一次世界大戦後のフラン安定化論争では戦前の金レートを復活させることを求める「紙幣価値回復説」の主要論者だったが、ロチルド家の政界への影響力もこの頃にはすっかり衰えており、レイモン・ポアンカレ首相はエドゥアールの進言を却下して1928年に平価切り下げを断行している〔ブーヴィエ(1969) p.276-278〕。 1937年にロチルド家所有の北部鉄道が国有化され、エドゥアールには補償金とフランス国鉄の株27万株が与えられた。はじめのうちエドゥアールは「略奪された」と文句を言っていたが、同鉄道は第一次世界大戦後のフランス経済の退潮の中で赤字が続いており、1928年には赤字総額が16億フランにも達していたため、ロチルド家にとっては重荷から解放されたという面もあった。国鉄の大株主となったエドゥアールは国鉄を持株会社とするようになった〔ブーヴィエ(1969) p.288-290〕。 第二次世界大戦中にドイツ軍がフランスに侵攻してくると、妻とともにフランスを脱出し、アメリカ・ニューヨークで暮らす娘のもとに身を寄せた。アメリカでは半ば隠遁した生活を送ったが、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト夫妻とは親密な付き合いを続けた。エドゥアールは自分を受け入れてくれたアメリカ合衆国に感謝していたものの、アメリカで暮らし続けるのは嫌がっており、なるべく早期にフランスに帰国したがっていた。息子ギーによると、エドゥアールは物を倒した時に妻に「ご覧よ、ジェルメーヌ。フランスだったらこれは倒れなかっただろうに」と呟いたという〔ギー(1990) p.123/133/139〕。 フランスが解放されると帰国したが、息子ギーによるとその頃にはかなり耄碌していたという〔ギー(1990) p.54〕。1945年11月にはギーにの持ち分の大半を譲っている。1949年6月末に81歳で死去し、ギーが正式にロチルド家の当主となった〔ブーヴィエ(1969) p.291-292〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドゥアール・ド・ロチルド (1868-1949)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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